ひばりのカタチ

 

介護業界にいながら消化しきれなかった疑問や、

“ひばり”を自分たちで始めようと思い立ったきっかけ、 家族経営ならではの信頼とバランス。

ひばりの歩みと“これから”を、利用者様やその家族の方々、

そしてひばりで働くかもしれない未来のスタッフに伝えたい。

 

なぜ施設を始めようと思ったんですか?

もともと私が福祉関係の仕事をしていて、かみさんもやっていたんですよ。まあ、組織の中で上下関係のしがらみが現場でもあって、やはり複雑だったりするんですよ。組織の中で仕事をしている中で、私の中で葛藤が生まれたんですよね。仕事を辞めて、自分たちでしようかなあって。

組織の中で働くと、利用者さんの気持ちとか自由に対応できない部分もあって、自分の中でも疑問を感じていたところもありましたね。それとまあ、上下関係の中でストレスも溜まっていたんでしょう(笑)

 

自分でしようと決めた時に、理想はどんなものでしたか?

笑顔で利用者様をお迎えに行き、一緒に過ごす時間の中では利用者様のできないことをみんなで支える。そして帰る時には笑顔で帰って頂く。そういう『介護』をやりたいよねというようなことを、うちのかみさんが言っております。

 

目標、方向性を教えてください

自治会、老人会、民生員・行政も含めて、手を差し伸べる介護という姿勢でいたいですね。例えば小規模多機能に限って言うと、地域密着型サービスとしてとても重要になってくると思うんですよね。在宅で家族が見るっていうのが本来良いのは皆分かってる訳ですよ。でも、それがなかなか難しい。今では共稼ぎっていうのがほとんどだし、現実を見た時に逆行していると思いますね。

そういった現実実態があるのに、『在宅』という国の流れには疑問を感じるところですね。その流れの中で、ひばりが目指すところは地域福祉ですよね。高齢化社会になってきていますし、二十年後とか、これからもっと課題は増えていくと思います。施設も地域も病院関係もひっくるめた形でみんなでなんとか支えていかなきゃっていう『地域包括ケアシステム』という形があるんですが、私たちから積極的に手を差し伸べていろんなところとタッグを組んで少しでも地域のお役に立てればと、いつも話していますよ。

ただ、それは僕一人がするんじゃない、僕も当然入りますが職員と一緒にっていう気持ちでしないと非常に困難ですね。教育やいろいろなところに研修に行ってもらったり。情報を集めて職員の意識改革を高めていくというのも大事な取り組みの一つだと思います。何をしたらいいかなんて、みんなわからない。でも、何かしたい。そんな思いで今年からは介護教室を初めています。公民館等で地域の住民の方に来てもらって介護、認知症とは何か、介護の基本的なやり方や徘徊をする方の対応の仕方などを話しています。

 

あなたにとって介護とはなんですか?

(奥さん)自分を育ててもらうことかな

素晴らしいこというね。そういった質問で、黙ってしまう漠然としているんですよね、私は。本当にこれでいいのか、この介護のやり方で本当にいいのか、いつもそんな思いがあるので、こうですよと言えない自分が常にいるんです。ただひとつ言えるのは利用者様の笑顔や、楽しかったよありがとうって言ってくれる。そういうことをやっぱり大事にしていきたいとは常に思っています。

 

ひばりの今後は?

息子はね、現実主義者なんですよ。父は理想主義者(笑)。理想論でやっていかないといけない部分もある訳ですよ。国の財政で介護業界は正直厳しいです。利用者様の負担を増やすといっても、年金だけでは賄いきれない人たちもたくさんいて、そこを支えるのが家族。でも家族も、自分の家庭で精一杯なんですよね。

うちの施設は他の施設に比べると若干は低料金だと思うんですよ。でもこれ以上安くできないですよね、だって職員に給料支払わないといけないし、そこをきちんとしないと職員が辞めてしまったりする、そういう悪循環にならないように考えていきます。

 

 

 

介護業界に携わるきっかけはなんですか?

両親が自分たちで施設を始めるって言うので、大学から帰って来て手伝いに入りました。まあ将来の夢もなかったですし(笑)。始めは知識も無いしぶっつけ本番のような状態でしたね。

小さい頃に両親から連れていかれた障がい児施設で、やっぱりちょっと抵抗があったりもしたんですよ。でも先生には、いつも障がいを持った子の担当を任されてました。その時から無意識にオーラは出てたんでしょうね、介護のオーラ(笑)

 

介護の世界に入り気づいたこと

知らない世界に入り、認知症やいろんなことに向き合った時、正直未知の世界すぎて『何をしているんだ、自分は』ってなったこともありました。でも、やるしかない。両親に叱られながらも毎日毎日がむしゃらにやっていました。年月が経つと、人って慣れるんでしょうね。それらをこなすのが普通になってきてました。介護をやっているというよりは、自分のやるべきことをやっているという感覚。

でも、とにかく介護を極めようと走り出して十年。ちょうど四年前ですね、その頃から感覚が変わってきて、経営に力を入れるようになりました。介護をしたくて介護をしているというよりも、経営のために介護をしていることに気づいたんです。自分がね、両親は違いますよ(笑)

私は、准看護士の資格も持ってるんですよ。それもね、看護士さんを雇うとお金がかかるので、それなら自分でとってしまえと取った資格なんですよ。看護士を極めたいという思いではなく、ただ単に経営の一環だったんです。

父との最終的な目標は一緒だと思っています。ただ、自分は経営目線で見ている。介護だけのことを考えていたら事業が成り立たないので。そういった自分と理想論の父だから、バランスが取れているんだと思いますよ、中和されてるんです。

 

 

地域密着という形

国自体は、介護に関して切羽詰まっていると思いますよ。でね、地域密着でお年寄りを見るのが良いという方針を掲げているわけです。でも、僕たちの世代ってのは、隣に誰が住んでいるのか分からない、特にマンションとかそれこそ都会なんてもっと知らないですよね。そんな社会で地域密着を求められても絶対無理だと思うんですよ。そこで、うち(ひばり)はちょっと違う形でやっていきたいと思っています。

その下積みとして、まずは介護の質を上げることですよね。やっぱり私は経営のことも考えながらってなるのでそれが経営の安定化となるわけです。でも、それはうちの都合ばかりではなくて利用者様からしても質の高い介護を受けられた方が良いですよね。ひばりっていう施設を地域に認めてもらうことが大事ですよ。

 

 

介護のこの先

介護業界で2025年問題といって、利用者様が急激に増えると言われている問題がありますね。それは、団塊世代の方達が介護年齢に入るということなんですね。私たちはそこは踏ん張らないとですよね。今から10年くらいはしっかりと基盤を作っていきますよ。そして、2025年からの問題に立ち向かってみせます。2050年くらいまでは、利用者様がいなくなるということは無いでしょうけど、でもそもそも介護なんてのは受けないのが一番なんですよ。みんな健康で元気に歳をとりたいのは分かります。でも、どうしようもなくなったらひばりに行こう、そんな風に思ってもらえたらやっぱり嬉しいですよ。

 

 

なぜ高岡町を選んだのか?

私の生まれ故郷。それだけです。

最初は助成金も無かったので最初は改築という形でのスタートでした。宮崎市には無かったんですよ、他の市町村はあったんですけどね。今は宮崎市も助成金を出していますが、その頃は遅れていました。

サロンや体操教室とかいろんなとこに出て行って、お年寄りとたくさん触れ合いました。その中で、利用者様と繋がりができてきて、今に至ります。やっぱり知らない土地に行ってするんじゃなくて、地元に根付いてしたかったんですね。